とやパン

突如、パンを焼く。

2/17(金)

日付飛ばしてしまった。

今週は、ビハインド続きだったタスクにようやっと追いつき、整理ができ、体調も比較的よく(気圧変化に伴う頭痛はあったけど)、よい1週間だったように思う。

タスク管理というものが壊滅的に苦手だった私が、やっと新卒2年目くらいまでに成長できたような気がしている。といっても私の新卒入社した会社にはあんまりタスク管理という概念がなく、1日単位でパズルのようにやることを組み立てて消すというテトリス的な仕事の部署だったため、2社目で換算して2年目、という感じだけど……。

で、「苦手」という意識もあんまりなく*1、なんと表現すればいいのか正直わからないけど、「やらなければならないことが行列を組んでいる」イメージで、山とか積むとか崩す感じではなく、行列を淡々と、時には時間をかけてやっつけていくというような……わかりますかね……。他の人と比べると「toyaはタスク管理ができない」という評価になるけど、ノートや手帳に書いたりWebサービスを使ったりしてもどうにも改善(他の人から見て)されず、もうそういう評価になるのはしかたがない、これ以外に私のやり方はないのだから、とにかく目の前のものをやり続けていこう、みたいな感じだったんですわ。評価されることをはなからあきらめているというと正しいかもしれない。

そんな状況の私に、現在の上長、1つ前の上長、2つ前の上長は1on1という形で非常に根気よくつき合ってくれて、

  • 2つ前の上長……「タスク管理が必要である」ということをわからせてくれた(私自身は理解はするが腑に落ちていない状態に変化)
  • 1つ前の上長……「タスク管理をすることでこんなにいいことがある、具体例はこうである」という話をして、一緒にやってみせてくれて、納得させてくれた(ここで「向き合わなければならないこと」に変化)
  • 現在の上長……「さらに具体的になり、伴走して朱入れもしてくれる」という体験をさせてくれた(ここでやっと腑に落ちる。つまりとても最近の話)

こんな感じで数年をかけて「改善」がなされていったのだった。カタカナにするのは好まないけど改善だ。

私自身は編集あるいはライター的な仕事をしてきているので、具体的だろうが抽象的だろうが「朱入れ」を好む人種である。「赤字を入れて修正される」のがいやな人はたくさんいると想像する。しかし編集的な仕事をする人は「他人に見てもらう機会があって、さらに具体的な指示があると、それをきっかけにより良くすることを画策する」のような性質を持つと思っているし、自分もそうやって編集的な仕事を身につけた。人によると思うけど。

タスク管理について入朱をリアルタイムでしてもらうことで、初めて「そうか、こうやってタスクとやる気と時間を扱うのだ」ということがわかり、世の中にたくさんある「タスク管理のノウハウ」が初めて頭の中で像を結んだ気がした。今まではどんなタイプのタスク管理本を読んでも、得るものはぼんやりとしていて、実践してみても特に何も生まれなかった。「一日一個、何か目標を立てて実行してみる」とか、実行はできても目標は立てられない。

ついでにいうと「タスク管理ができないことによる迷惑」も、この時点ではっきり浮かび上がった。周りの方々には本当に申し訳ないのだが、迷惑を迷惑だと認識できていなかったのである(ほんとすみません……)。

この位置に書くと完全に言い訳になってしまうのだが、私は「自分がされて嫌なことは(他人に)しない」=「他人がされて良いと思うことを(自分が)する」とよくある道徳の話が全然理解できなかったし、実は今もできていない。自分がされて嫌なこと・自分がされてうれしいことが、他人のそれと一致するとは到底思えなかったため。

些細なことだけど、例えば「自分は体調が悪い時や機嫌が悪い時は放っておいてほしい」と考える。しかし「体調が悪い時に構ってほしがったり、世話を焼いてほしがったりする人はどうやら多いようだ」ということを学ぶ。ここで私が実際にやったことは「自分がやってほしくないことをやると喜ぶらしい」という間違った学習だった*2

これを仕事に置き換えると、「自分がやってほしいこと」と、「仕事として他者が自分に期待すること」の間に、素晴らしく見事なギャップが生まれる。とはいえ、「人に喜んでもらうとうれしい」という原始的な喜びは持ち得ているので、見かけ上の仕事は(時間を無視すれば)進む。冒頭の 時間をかけてやっつけていく がまさにこれで、自分のプライベートの時間を完全に無視するとなんと仕事というのはなんとかなるのである!と、これまた間違った学習をしているわけである。ちょっとだけ「管理監督者」になった時は「時間が使いたい放題だ!」と喜びましたね。だめです。

「時間をかければなんとかなる」は、実際にはそうなんだけど、複雑で多面的な物事の見方をするには驚くほど向かない。全くできないとは言わないけど、物事への集中力だけは一応あるので目の前のことに集中するだけになって、他の要因が考えられなかったりする。ついでに今思い付いたけど「複雑で多面的な物事」は「人に喜んでもらう」タイプのタスクにはなかなかならなさそうだ。

それがなぜか、今になって、「なるほどこのように考えてこのように組み立てると効率的に、時間を短くして進められて、さらにその方がよりよいことなのだ(そして無駄にプライベートの時間を切り売りしなくてよいのだ(プライベートの時間というのは人生にとって大事なものなのだ))」というのが腑に落ちた。ウォーター!!!!!

文字にしてみて思ったけどこれだいぶ切実な話で、自分ひとりじゃ解決しなかったな……。具体的に今やって(もらって)いることを書くと、「Google ドキュメントを1つ作って、タスクを書き出して、そのタスクをGoogle カレンダーにあらかじめ入れておく」なんですよ。ここまでは実は、試行錯誤の中で自分でもやっていた。バレットジャーナルを試したりもした*3し、時間割を作ったりもした。でもできなかった。やることの粒度を細かくするのもやった。細かすぎて私が死んだ。私に必要だったのは「具体的な入朱」だったのです。

一緒にドキュメントを見て、書いてみて、「この書き方じゃない方がいい」ということを教わって、カレンダーに入れてみて、「ここ無理ないっすか?」と指摘を受けて、気づいて、カレンダー上の予定を動かして(ここで見積もりの精度を上げるという効果が生まれる)、ひとまずその通りにタスクに着手して、終わったら時間をメモしておき*4、タスクを持ち越すかどうかを体調と相談して決めて*5、明日にしようという勇気を持つ*6

マタイによる福音書 (口語訳) - Wikisource

だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

文脈を完全に無視して引用しますが、聖書は本当に良いことを言いますね!!!

(本来はちゃんとした文脈があるので、1つの聖句だけ取り出して自分の都合のいいように使うのはやめましょう)

現在の上長、1つ前の上長、2つ前の上長には本当に、心から感謝している。こんなにねじくれた思考回路(性格? 特性?)の持ち主に向き合ってくれる人がいるのは奇跡だなと思う。しかも、三人三様で教え方もやり方もバラバラだったのに、順序がよかったおかげでなぜか今になって「タスク管理」というものに対して納得できた。そこが納得できたので、これまで見たり読んだりしてきたライフハックの数々が、「確かにそうだねー」「本当にその通り」と思えるようになった。

タスク管理の概念が身につくと、なぜか生活も改善したくなるもので、少しずつ要らないものを捨てるなどしている。こんまり先生や断捨離の影響ではない、「自分の生活をよくすることへの興味」がちょっとずつ湧いているのである。どんな奇跡だよこれ。

自分の生活をよくすることへの興味 って自分で書いておきながらあれだけど、本当に興味も関心もなかったし、人生を送ること自体がどうでもよくて、身の回りの世間というものに「自分はどうもうまくフィットしないらしい」と思いながら「普通っぽい社会人」に擬態して過ごしている感覚だったもんね。実際、あんまり人生に向いてねーなー、と思うことは減った。これはおそらく加齢の効果も大きくて、人生の折り返し地点を過ぎてしまっているので、向いている向いていないどころの話ではないのである。人生100年なんて言われているのでやっていかざるを得ないというのが正しいところだ。

人生長いことやってると、数々のターニングポイントに必ず、うまい具合に導いてくれる何かがあって*7、それは私が完全に「運が良かった」ということなのだろうなと思う。再現性がなさすぎる。

*1:自分はADHDっぽい?と思ってたけど違ってそうなのはここ。

*2:今も間違いだとは思っていないので、理屈を知る、という方が正しい。

*3:性に合ったので今も少し取り入れている。ツールは紙だったりテキストエディタだったりいろいろだけど。

*4:あんまりがちっとした振り返りはしない。すると私が死ぬので。私スクラム開発をやったら死ぬのではないか?

*5:今までは体調という要素を全部無視していたので。

*6:遅延が起きたら報告・連絡・相談をする。ここも自分と他人の粒度の差がわかっていない大きなポイントだった。今もちょっとずれているとは思う。

*7:それは仕事に限らず、お医者さんや、手に取った本の著者さん、読んだ漫画やアニメ、聴いた音楽など、プロフェッショナルの人と作品や、目にしたブログなどの記事を含む。私が「自己愛」というものを具体的に知ったのは、ポケットビスケッツYELLOW YELLOW HAPPY」であった。